潜るという行為が教えてくれた、自然と呼吸する感覚 ── 海に溶け込む時間
<目次>
はじめに
地上の暮らしでは当たり前の呼吸も、海中では「命を守る技術」になる。スキューバダイビングでは、無駄なエアの消費を避けるために、静かに、効率的に、そして落ち着いて呼吸することが求められる。
スキューバダイビングをしていると、最初の数分間はいつも緊張で呼吸が浅くなる。でも、海の中に自分の身をゆだね始めたとき、不思議と呼吸が整ってくる。深く、静かに。海と対話するように。
五感がチューニングされていく感覚
陸の生活では、いつの間にか耳も目も心も鈍っている。でも海に入ると、そのすべてが再調整される。
光が屈折して差し込む海中。耳に届くのは、自分の呼吸音と気泡の音だけ。水温の変化や、肌をなでる潮の流れすら、敏感に感じるようになる。
思考は静まり、言葉は消え、自分の身体の動きと自然が完全にリンクする。まるで瞑想のような時間だ。
重力から解き放たれる体と、心の軽さ
もうひとつ、海の中にいるときの特別な感覚 ── それが「浮遊」だ。地上ではいつも重力に引かれて生きているけれど、水中では少し違う。
BC(浮力調整装置)を通じて、自分の浮き沈みを微調整する。呼吸ひとつで浮上し、吐き出せば沈む。その繊細なコントロールこそが、スキューバの奥深さだ。どこにも触れていないのに、安定してそこに存在している。
その感覚は、子どものころブランコに乗って、ふと宙に浮いた一瞬に似ている。でももっと静かで、もっと深い。大人のための「心の遊び場」とも言える。
透明度30mのハワイの海で、海底15m地点から水面を見上げると、自分がどれほど小さな存在かを痛感する。青一色の世界にぽつんと浮かぶ自分 ── まるで金魚鉢の中の金魚だ。普段抱えている仕事や人間関係の悩みも、こうして自然のスケールの中に入ると、ほんの一瞬のことのように思えてくる。
海の生き物たちとの出会い ── 言葉のない対話
ウミガメと並んで泳いだあの日のことは、今でも忘れられない。ゆっくりとしたリズムで泳ぐ彼らに合わせて、僕も自然と動きが静かになっていく。
マンタが突然視界に現れ、優雅に旋回して去っていくとき、心臓の鼓動だけが響いた。熱帯魚の群れが目の前を一斉に通り過ぎるとき、自然の秩序と躍動を同時に感じる。
どの瞬間も、言葉はいらなかった。ただ「ここにいる」ことを感じ合う、そんな静かな共鳴だった。

都会では手に入らない『内なる整え』
この地球上で、一般人がエンタメとして空気タンクを背負って異次元に入る体験 ── それがスキューバダイビングだ。高山登山などで酸素ボンベを使う例もあるが、ダイビングほど「誰もが挑めて、自然と密接に対話できるレジャー」は他にない。だからこそ、海に潜るという行為には、他に代えがたい意味があるのだ。
僕にとってダイビングは、スポーツというよりも「整える時間」だった。身体を鍛えるでもなく、記録を競うでもなく、ただ心身を『ゼロ』に戻すような感覚。
普段の生活では、自分の感情や体調を見過ごしてしまうことがある。でも海の中では、呼吸ひとつ、視界の揺らぎひとつが、自分の状態を教えてくれる。
それは、畑で草刈りをしているときの感覚にも少し似ている。自然と向き合うとき、人はようやく「自分自身」に戻れるのかもしれない。
潜ることは、「整えること」だった
50代になって、改めて思う。人生の後半を健やかに、穏やかに過ごしていくためには、こういう時間が必要なんだと。
今、ダイビングを再開しようとしているのは、あの海の美しさをもう一度味わいたいという気持ちだけではない。
静けさの中で、自分と呼吸を合わせる時間。自然と一体になることで、「いま、ここに生きている」と確かめる時間。それを、これからの人生にもう一度、取り戻したいのだ。
次回は、僕がなぜ『ハワイ』という場所にこれほど惹かれ続けたのかを語りたい。海だけではなく、島そのものにある「浄化の力」について。

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